日本の神様

神様って、いると思いますか?

神様って何ですかね?
「五感では感じることができない」ですが、人によってはそれ以外の感覚で
その存在を確かに感じることができる。私は無理ですが。
なぜ感じることができるか?それは信心があるからにほかなりません。
で、感じることができたら、なにかいいことがあるのでしょうか?
何かほかの「いいこと」はないでしょう。
「感じること」それ自体が、「いいこと」なんだと思います。
他人ではない、何か別の、「存在」。
おそらくは「孤独」を解消してくれるであろう、その「存在」。
それは「とってもいいこと」に違いありません。

日本の神様はそこらじゅうにいることになっています。
山にも海にも空にも川にも大地にも、まあ神様だらけです。
神様の「いない」ところはないといってもいいくらいです。
仮に「いないところはない」とすると、それはすでに
「ある」とか「ない」とかそういう次元を超えてしまいます。
「常にあり、またない」そういうぼやーっとした状態ですね。
でも、これって神様の本質だと思います。
「神社」、「神棚」なんかつくってここに神様が「来る」「居る」
とかっていう考え方は、逆に言うと「そこにいる」ということは
「ほかのところにはいない」という考え方につながります。
--「今いる」ということは「過去いなかった」になるのも同じです。
ああゆう物質化した「シンボル」は五感で感じることのできる
わかりやすいものです。おそらく作り手、というかそのプロジェクト
を発案した人は「サルでもわかる神様」の手引きの一環として
意味のない不毛なシンボルを作ったのだと思います。
日本の神様はそこらじゅうにいるのです。
日本人の見るもの、感じるものすべてに神様はいます。
そしてそこにはまた、神様はいないのです。

例えば、人間。すべての人間は母から生まれます。私もそうです。
その母はたまたままだ生きているので、そこらへんをうろついています。
この具体的な「母」はいつか「いなく」なります。
おなじく母はわたしの中にもいます。なんつっても「母」から生まれたわけで
「母」で構成されているともいえると思います。
この私の中の「母」は「いなく」なることはありません。
常に私は母とともにあり、私を構成しています。
常にともにあるので、「いなくなることはない」=「いることはない」
つまり母はいないともいえます。
一体化してるってことです。
ちょっと、すくなくとも、神様よりはイメージしやすいと、感じやすいと思います。

神様もおんなじようなことです。
日本の神様、神様は、日本を、世界を、宇宙を、そしてあなたも構成しているんです。
渾然一体なんです。
ぼやーっとしてるんです。
あなたを構成する細胞は代謝を繰り返し、つぎつぎに生まれ変わりを繰り返します。
諸行無常。同じ顔でも、昨日とは別人でもある。
昨日飲んだ水、食べだご飯、肉、野菜、ひいてはそれをはぐくんだ土で今のあなたは構成されている。
考えようによっては、あなたは水かもしれないし、土かもしれない、ひいては神かもしれない。
渾然一体です。
あなたはすべてとともにある。