ニッポンは資本主義:最終回 自由価格

資本主義はウィキペディアによると以下の特徴があるそうです。
私有財産
・私企業による生産
労働市場を通じた雇用、労働
・市場における競争を通じた需要、供給、取り引き価格の調整

19世紀時点で以下のような問題点があったそうです。
ウィキペディアによる
・低賃金、劣悪な労働環境
・物価の乱高下
社会保障の不備
・貧富の格差、失業・無業・無産層の存在
・市場を求めて他国へ帝国主義的な侵略

一個ずつ、分けて考えていきます。
今回は
労働市場を通じた雇用、労働
・市場における競争を通じた需要、供給、取り引き価格の調整
なんですが、自由価格のことなので、それについて。

・自由価格
自由な取引
価格ってなんでしょうか?
お金という物差しで見た、提供側と受領側の両方が
納得できる取引成立ポイントですかね。
そもそもお金って便利なものですね。
お金があるから微妙な調整、1円単位で価格が決めれますもんね。
お金がなかったら、

「ねえねえ、私のうちのトイレがつまっちゃったんだけど、直してくれない?」
「いいけどー、何くれる?」
「お米5キロでどう?」
「米はいらないなー、その古いテレビちょうだいよ」
「えー、それはなー、うーん、じゃあ、屋根も直してくれるんだったらいいよ」
「うー、わかった!、いいよ!」
取引成立
この2人の間では
中古テレビ=トイレと屋根の修理
で価値を共有できたわけです。
※一方が「労働」を提供しているところがポイントです。

なんかこれはこれで楽しそうですが、めんどくさいですよね。
挙句、気の弱いというか口下手な人は、言いくるめられて
搾取されたい放題ですね。
まあ、価格があったところで、個別取引ではやっぱりこんなのが
現実にあるわけですが。
例えば「~工事」。基本的に同じ工事ってのは存在せず個別です。
同じものがないので比較しようもなく、業者のいいなりです。
で、搾取されるのがイヤなので、いくつかの業者に聞いてみて
市場価格をチェックする。
だいたい妥当な価格の範囲を捉えて、サービス、ブランドなどを
考慮して納得のいく価格、業者を選択する。といったところでしょうか。
ここで、簡単に比較できるのは「お金」で価格が決まっているからです。
先の例のように「米」や「テレビ」がでてくると訳が分からなくなります。
比較できなくなってしまう。
やっぱりお金って便利なんですね。
腐りもしないし。
いやいや、そうではなくて、なにが言いたいかというと
結局価格なんて、あってないようなもんだ、ということです。
絶対的な価格なんてないんです。

価格はみんなで決める
スーパーで目にする商品。一応希望小売価格があります。
希望小売価格ってのは、売り手側が、「これくらいの価値がある」って
のをあらかじめ提示しておくもんです。
で、それで売るんですが、売れません。
なので割引します。「定価の3割引!」ってのがでてくるわけです。
で、売れたとして。
これは売り手側が過剰評価していたということです。
実は適正価格、というか、多くの人とその商品の価値を共有できる
価格は3割引後の価格だった。ということです。
じゃあ、その価格はすべての人に適正か、というとそうではないんです。
例を希望小売価格100円のジュースにすると、先の適正価格は70円。
でも自動販売機におくと、120円でもみんな買ってくれました。
これはなぜか?わざわざスーパーに行って、レジに並んで買わなくても
即買って飲むことができるからです。
さらに、それが山奥の小屋で売った場合、300円でもみんな買ってくれます。
わざわざ町まで出ていかなくても、簡単に買うことができるからです。
120円のジュースを買うために、ガソリン200円使うくらいなら、300円で
買いますよね。時間も節約できるし。
挙句山のてっぺんでは、500円でも売れるでしょうし、砂漠のど真ん中や
北極南極では10000円でも売れるかもしれません。

ただ、干からびて死にそうな人に、ジュースを高値で売り付けるのは
火事場泥棒と言われます。
なんか困った人が出ると、その人にだけ法外な値段で売るとそうなります。
ここの境目は、多くの人が見て、一般常識から見て、納得できる
平均価格に近いかどうかです。
何か起きても平常時の価格で売るか、ちょっと上げても納得できる範囲にするか。

まあそれはいいとして、ようは価格なんて時間、場所、人によって
全然違うってことです。
センスを問われる服もいい例です。
いまどき機能のみを求めるのならば、1000円以下で充分機能を満たせる服を買えます。
じゃあ、なぜ1000円以上で服を買うのか?
買う人がそこにその価値を見出しているからです。
ある人が1万円で服を買うとします。別の人から見れば、100円以下、
あるいはゴミかもしれません。
同じ時間、場所で買い物をしても、ある人には1万円の価値、別の人にはゴミ。
こんな世界にいることを忘れてはいけません。
絶対的な価値なんてないんです。

ただ、こっち(買い手)がゴミだと思っていても、あっち(売り手)は
ゴミだと思っていないので、もちろんただではくれません。
お互いの納得する価格にもっていく必要がありますが
人を見て価格を決めるのも不正ですから、買わない、買えないことになります。

あなたが価格を決める
みんな知らないうちに、いろんなものに価格を決めているんです。
例えば、バイト。フリーター。
彼らは自分の時間を売っています。
自分の時間の希望小売価格を元に、買ってくれる企業を探します。
そこで労働(時間)とお金が見合うと判断されれば、取引成立。
その人は時間をお金で売ったことになり、企業側はその人の時間を
お金で買ったことになります。
まあ職業の場合は、知識、経験、人脈などいろんな付加価値を考えて
安く時間を売る場合もあるでしょうが。
サラリーマン、正社員も似たところがありますが、違う点は
「これだけ企業に利益をもたらすから、これだけもらう」
という観点があるかどうかが、ポイントでしょうか。
ようは時間ではないもので、価値が決まるところにあります。
自分が決める範囲が広いとも言えます。

で、そうやってお金を手に入れて、お金を使う。
無限にあるサービス、商品の中から自分に必要なものを探し出し
自分が納得する価格で手に入れる。
特定の商品が欲しくても、場所によって、時間によって価格は
違います。
自分が納得する価格になる、なっているのを確認して購入する。
重要なのは自分です。
個別の価格、サービスの場合には、自分を基準に相手を説得して
自分の納得する価格に近づける努力も必要でしょう。
さらにその努力の価格も見極めて、めんどくさいから
ある程度高値(納得価格+自分の努力価格)で買うっていうのも
自分次第です。

全てのものに価値をつけるのは、なんか味気ない気もしますが
そうやって自分で決めていかないと、損をすることになります。
1万円で買った服が、他人の評価がゴミでもいいんです。
自分が納得して買ったのですから。
その服があとでセールになっていて、5000円になっていたとしても
それはいいんです。その服が必ずセールになるという保証も情報も
無いわけですから、それは結果論に過ぎません。
悔しかったら、セールになるよう手を回すとか、情報ルートを
入手するとかいった労力を使用する必要があります。
その労力はいかほどでしょうか?

このように、自分で価値を決めて、売って、買って、
取引しまくるのがこの資本主義経済です。
みんなが主役で、自分の納得する取引をしようと頑張っています。
取引相手、店員さん、周りのみんな、常識にとらわれることなく、
自分の価値観で本質を見抜いて、自分の労力を考慮に入れて
納得のいく価格で取引しましょう。