例え相手が地震でも

いつものように真っ白な頭で「新規投稿」ボタンを押して、手にまかせて文字を打ちながら考えたのだが、難しい。
書きだすことはできる。思うところは少なからずあるから。
ところがそれを読み返すと、どうも違和感がある。
それで書きなおすと、また違和感がある。
 
なぜか。
私にできることと言えば節電と募金以外は普通に生活することだからかもしれない。
または、、、
そう。
そう思うことこそに原因があるのかもしれない。
 
「私にできることはこれくらいしかない」
そういう決めつけは、やはり下手の決め打ちではないだろうか。
多分地震の被害の甚大さに、自然の脅威を目の当たりにし萎縮してしまっている。
そのために配牌の時点で「降り」を決め込んでいるのだ。
そんなことでは絶対勝てない。
自ら負けに向かうことはない。
 
どんなに強大な相手でも、絶対勝てない相手でも、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
「負けるに決まっている」ではなく「勝てるかもしれない」へ気持ちを切り替える。
そう向きを変えることで、新たな道が見えるようになるものだ。
 
私に何かできることはある。
そのために気持ちを切り替えるのだ。
「私にも何かできることはあるに違いない」
真剣に考えた結果、その「何か」が、やはり普段どおり生活することであったとしても、
「私はできることをやっている」という自信は必ず次の「できること」へつながるに違いない。
 
というのも、東京電力のサイトにやられたのだ。
 
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 図1:げん子