イワシの頭 ~ 追記タイトル:神と共にあらんことを

東日本大震災で休園していたTDLが開園したというニュースを見た。
開園前から行列をなしていた人々は、MC(main character)がお出ましした際に感涙しながら
その御名前を絶叫されていた。
 
状況からして、例のMCは、神だった。
 
俺の住んでいる集合住宅のエレベーターでも、そういう信仰の記述を見ることができる。
 
AKB48 神
 
もしも上記表現をおこなった者が、AKB48という抽象的なグループの存在についてのみ
信仰心を持つのであれば、それはやはり神と言える。
が、具体的で物質的な、人、その肉体に対しての礼賛であるならば、それは好きな人、
尊敬する人、あるいは指導者、先達者にすぎない。
AKB48のメンバーが残り残らず入れ替わっても、プロデューサーが秋元氏ではなくなっても、
あまつさえメンバーがいなくても、それでもAKB48が神と思えるならば、神なのだ。
 
神は変わらない。変わらないでいられる。
 
この世に変わらないものはない。
実のところ、こういう時だからこそ、変わらないものとは何かと考えていた。
やはりそんなものは考えつかなかった。
 
ものではなく、抽象的なものは不変でありうる。
それは、それがために、それぞれの心の中にのみ存在する。
例えば「こたつ」という言葉でさえ、その人の心の中にのみ存在するこたつを、そのイメージを
他人に伝えるための投影ととらえることができる。
現実社会のこたつは、そのうち歪(ゆが)んだり、歪(ひず)んだり、自立できなくなったりするかもしれないが、
心の中のこたつはそうはならない。経年や扱いによってそのように変化するという仕様と共に、心の中に
思うとおりのかたちで存在し続ける。例え地球が爆発して、その人が裸一貫宇宙に放りだされても。
心のこたつはこたつで変わりはしない。
ただし変化しないということではない。
初めてこたつを買ったときと、それが火を噴いた後では、違うだろうし、2台目のこたつを買った後でも
やはり心のこたつは違ったものになっていることだろう。
ん?
心のこたつは抽象的であるがゆえに、変わらないとは言えないのではないか。
絶えず変化しながらも安定している「原子」のようなものかもしれない。
そうかもしれない。
モヤモヤしているのだ。
 
具体的、抽象的を問わず、不変なものなどありはしなかった。
※追記(下#1へ)へ分岐
 
神もこたつも同じだろう。
モヤモヤしている。
そしてそれはその人の心の中にのみ存在し、唯一無二であり、他の誰とも同じではない。
こたつがこたつとして物質世界に存在しているのは、それを見る人の心のこたつと、その実存している
こたつとに共通点が多いからに過ぎない。
同じように神を物質化させる際には、多くの人の心の神の共通点を具体化、あるいは指導的立場にある人の
心の神を具体化させる形で製作されるのだろう。
そして、物質化した神はいずれぶっ壊れる。
しかし、心の神はぶっ壊れない。
いくら物質化した神体の首を根こそぎぶった切ろうとも、心の神には何ら影響を及ぼさない。
神体は神の投影、影にすぎないのだから。
でも、心を痛める。壊れたり、壊されたりすると。
じゃあ、そもそもそんなもの作らなければいいのではないかと思うが、そうもいかない。
人は集団で生活する以上、ある程度の共通意識を持つ必要があり、その拠りどころたりえるのが神なのだろう。
それを共有するための象徴として、物質化した影、神体なのだ。
 
TDLのMCも影だ。
ある場所からある場所へMCが瞬間移動するとか、あるいは同時刻に複数体が存在しているとか、
世界中にTDLがあるのだから、MCはそれだけ分存在していいのか、昔と今とじゃ全然顔が違うとか
そういう問題ではない。
あれは影なのだから、光の当て方によって、瞬間移動したり影が同時に複数存在することも
あるいは形を変えることすら可能なのだ。
 
イワシの頭も信心から
 
本当のところは、心の中にあるのだから。
イメージ 1
 
 
追記 #1
AKB 48でもAKB 大島でも神でありうる。
大事なのは信仰する人の心のAKB 48であり、AKB 大島だ。
その現実世界に存在する実体がどうなろうとも、それを影ととらえることができれば、信仰には影響がない。
酒井法子が法に反する形で薬物を使用したとしても、大原麗子のように亡くなったとしても、
あの時のまばゆいばかりの心の酒井法子大原麗子が色あせず存在するなら。
 
UNICORNのHELLOという曲に、こんな歌詞がある。
 
そう君が泣いていた、あの頃にもう一度、会いたくて
まだ君が元気だった、あの頃に、言いたくて  JASRAC申請検討中
 
誰でも見たことがあるのではないだろうか。
あの日あの時あの場所でのあの人の輝きを。
一時も忘れることなどできない人もいるだろうが、
忘れている人は思いだしてほしい。
黙とうであの場面を再生してほしい。
 
 
(黙とう)
 
 
もし今、神を感じることができたなら、
神はあなたと共にあるのだろう。
これまでも。
これからも。