なんでもないです

そういうことを言いたいのではない。
そうじゃない。
何か気に障ることを言ったのかもしれない。
不穏当で不規則な不適切発言だっただろうか。
と、反省しきり。
 
特に何か意図を持って発信した言葉ではなかった。
なんでもよかった。
ただ、その場のグルーヴから発生した言葉であって、
内容や意味なんかは、ただ1弦の(意図して発生させた)ピックノイズ程度のものだ。
ところが、言葉には意味がある。
やっかいなことだ。
 
だから、音楽が好きだ。
音にはイメージこそあれ、明確な意味や思想がない。
歌詞は、一応言葉ではあるものの、通常のそれよりもそれ自体が保持する意味が少ない。
それよりも解釈の幅が広い。
なんだったら、歌詞が聞きとれなくても、8割がた何を言っているのかわからなくても、
それはそれで成立してしまう。
また、いわゆるサビでは、同じ歌詞が繰り返される。
意味がないとは言わないが、あると言えるのかは疑問が残る。その程度のものだ。
音楽では、この繰り返しがサビなのだ。
繰り返しのない音楽は音楽じゃない。
そんなもんはロックじゃねえ。
 
歌詞、言葉なんかどうでもいいのだ。
いっそのこと音、メロディさえどうでもいい。
なんでもいいから音を出したいのだ。
なんでもいいから声を出したいのだ。
なんでもいいから言を発したいのだ。
 
うおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああ
 
奥田民生OTRL(1人で全てのパートをこなす公開多重録音を音源としたCD。1人で製作しただけあって、
その音にはひたすらなひたむきさがにじむ)に収録されている、「最強のこれから」という歌詞の出だしは、
「ひとつ変えたら新しい」、「いつも同じはわびしい」。
なんでもいいんだけど、いつも同じじゃ退屈だから、ちっと変えて楽しんでるだけなのだ。
 
ギターを抱えて弾き語りをしているが、あれもどの曲がどうだということではなく、
その曲を演奏することで、どうでもいい音をだして、どうでもいい歌詞を叫ぶことで、
この心臓の近くにある、胸の奥の痰のような何かを、吐き出せるのではないかと、
吐き出そうとしている行為そのものなのだ。
 
河原で、人前であえてやっているのも、金銭的な利益など全く期待どころか意識もしていない。
例えば効果的なストレス解消に「おしゃべり」があるが、あれも内容も相手も実際のところはなんでもよくて、
純粋にお話するだけのものだ。だが、誰でもいい相手とはいえ、いるといないとでは大違いだといのは、
ノーリーズンで分かる。さらに、2人で話しているよりも、3人目のオーディエンス兼つっこみ担当が
いたほうが、より楽しい。
そういう感覚と、人前で弾き語りをするのは同じだ。
聴いてくれる人が誰であろうと、もしくはいようがいまいが、
そういう場のほうが楽しい。
そういう場のほうがアレを吐き出せそうな気がする。
というかアレは、人が聴いていないと出ない気がする。
なげっぱなしのTCP/IPのような思い込みに過ぎないであろう共感を伴わなければ、
アレは出せないと思う。
または、アレを出そうとする行為、アレを出す行為を見たいと思うのは、人の性ではないかと。
男がAVを見るのも、そういう理由ではないかと。
だったら、見せたい、見て欲しい、という理由かもしれない。
なんだか、変態だ。
最悪だ。
そうじゃない。
そうじゃねえ。
 
 
 
なんでもないです。